パニック障害減薬と断薬でわたしが経験した離脱症状のこと

精神薬・減薬・断薬・断薬失敗・離脱症状・再服用

【読んでもらいたいベンゾジアゼピンの離脱症状ブログ】転載からの転載:ベンゾジアゼピンの遷延性症状

ベンゾジアゼピンの離脱症状に苦しんでいるご本人と、ご家族、精神科やメンタルクリニック関係者、その全ての方に読んでもらいたい「人生の変転・下山日記」。元のブログはサービスの終了の為、消失してしまっていたのですが、転載してくださっている方がいらっしゃったので、そちらからの引用とリンク先を貼っておきます。2014年と10年以上前のブログになりますが、まだいまほどにベンゾジアゼピンの離脱症状が表沙汰になっていなかった時に、細かな離脱症状、ご自身の気持ちを残してくださっています。同じように苦しんだ方がいたことを風化させず、残したいです。

 

 

 

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

 

自己紹介 

2014年にベンゾジアゼピン薬害のために、これまでの人生が方向転換をしてしまいました。日々の症状の推移等を綴っていきます。

 

 

 

 

いつまで続くか分かりませんが始めました

2014-09-08 15:48:47 | 日記

5月下旬から身体の不調(耳鳴り、不眠)を訴えて休職に入りました。仕事から離れ、また、病気の本態が何かを知るに従って解決できない悩みに苦悩し、9月に入って友人からの勧めもあったブログに思いを綴ってゆくことにしました。今後、自分の健康や行く末はどうなるか分かりませんが、宜しくお願いします。

(【転載】人生の変転・下山日記より引用)

 

 

 

⇩転載元はこちらの【藤原航太針灸院】さんのブログになります⇩

ameblo.jp

 

 

 

ベンゾジアゼピン

2014-09-08 15:58:30 | 日記

5月からおそらく数千回、検索しているであろうこの薬剤。これを10年以上にわたって飲んでいて5月から顕著な離脱症状が出て来ました。耳鳴りが強くなり、眠ることができません。思わず、休職してしまいました。

 

6月は仕事から離れることに苦悩し、7月は自分の症状が何であったかに苦悩し、8月~9月は自暴自棄になりました。家族もいて生計はどうするのか、段々悪くなってゆく体調はどうなるのか、これまで楽しんでいたいろんなことに楽しめなくなってしまいました。答えの出ない負のグルグルのループに入り込んでしまいました。

 

気分転換の方法も持てず24時間苦悩している状況で家族にも心配を掛けっぱなし。少しでも打開策をということで日々のことを1日数回(暇なもので)にわたり書き込んでいきます。身体も動かさなければならないんだけどこれも客観的に自分を見つめ、それから日々の記録として書き留めて置ければと。

 

 

 

 

長年の服用

2014-09-08 16:17:27 | 日記

きっかけは些細なことでした。性格的なものもあったのでしょう。もう13年も前に心療内科を受診し、デパスという薬を処方されて、「栄養剤」のごとく飲んでいました。カウンセリングも安心するものがあったので、2ヶ月に1度行っては、お話しをして薬ももらってくるという具合でした。

 

このことは、全く迂闊で愚かでした。10年以上飲んで、症状が出て気付くまで。ベンゾジアゼピン系の精神安定剤は決して1ヶ月以上も服用してはなりません。これは私からの大げさでなく命を賭したメッセージです。その薬剤に慣れた脳みそは、もはやこの薬剤なしでは済まされません。

 

薬を抜くと激しい断薬作用に悩まされます。Wikipediaに載っている通りです(ベンゾジアゼピン 離脱作用 で検索して下さい)。私の場合、最早薬を減らすということも意味をなさない状況なんだと悟っています。

 

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nekomura-benzodanyakupart2.hatenablog.com

 

 

ベンゾジアゼピン断薬後の孤独|レキソタン断薬4年目・レクサプロ断薬6年目

スマホのメモ機能に

残していたある日の気持ち

 

 

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2023年2月

こっちまで来てもらってごめんね
ありがとう
来てもらってごめんね
何度も何度も言ってきた6年

 

虚しい
ひとりじゃ行かれない
できない
謝ってばかりで

 

どこへも行かなければいいんだ
何も期待して
過ごさなければいいんだ
もう疲れてしまった

 

欲しがってはいけない
欲しがっては
虚しくなるだけ

 

何も見ないで暮らしていけば
何も見ないで生きていけば
何も知らずにいられるから

 

寂しくもならず
虚しくもならず
生きてる意味なんてことを考えず
4にたくなることなんて
なくなる

 

何も見ないで
何も聞かないで生きていこう

 

それが自分を守る
唯一の手段なのかもしれないから
何も見てはいけない

 

好きなことも
好きなものも
心踊ることも
支えられているものも
何も見なければいい

 

何も見なければ
私の世界では
ないことと同じなのだから
閉ざしなさい、外との繋がりを

 

人の好意すら素直に受け取れない
わたしはダメなんだ

 

どうせ
ありがとうごめんねと
感謝と謝罪
そんな風にすら思ってしまう

 

でも
でも
放っておかないで

 

寂しいんだ
ひとりにしないで欲しい

 

でも私のことを
”仕方がないから”
という風にも
扱わないで欲しい

 

矛盾
わがまま

 

体が回復する分
心は削がれる

 

何人の友達に
ラインで
会った時に
途中で
帰りに

 

何度ごめんねと
謝らなければならないのかと思うと
誰にも会いたくない

 

こうして一人になっていくのかも

 

だから希望は持ってはいけない
最初から何もなかったと
何もないと思えば

 

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

(一年半後くらいに読み返して思ったこと)

 

 

こんなこと書いてたんだと
書いたことを覚えてなくて
いまびっくりしてる

 

読み進めていくうちに
思い出したのは

 

以前働いていた職場の人たちが
ご飯を食べに行く時に
誘ってくれるけど

 

そこまでは
何かしらの交通手段を
使わないと行かれなくて

 

引越しする前は自力で
自転車で行かれる
場所だったんだけど
それが変わったりして

 

その場所まで
夫に送迎してもらうのは違うし
その場所に
夫に同席してもらうのも違うし

 

自力で行かれないんだ
ごめーん!笑
と数回断って

 

自分から断ってるのに
みんなが楽しそうに
ご飯会をしてる写真を
SNSで目の当たりにしたら

 

やっぱりなんだかつらくて
SNS見なきゃ知らなきゃ
良いだけ、それだけじゃん
みたいな

 

(あと元職場の人たちは
たぶん私に気を遣ってSNS
アップしていたり
してなかったりしていて
それが申し訳ない)

 

元々のパニック障害だった時の
時々電車に乗れないくらいの
状態に戻ったら

 

レキソタンでも
パキシルでも飲んで
そこへ行けばいいんじゃない?

 

そうじゃなきゃこの先
一生
夫が一緒じゃない時は
家に引きこもって
時間だけが過ぎて
老けていくだけだとか

 

もうそれはそれは
色んなことを考えて
書くことで
気持ちの整理をつけようとした…
のかは覚えてないけど

 

ただ悲しかったんだと思う

 

出口はあと少しだと思うから
頑張れ

 

流石にこの生活にも慣れたから
普段は大丈夫なんだけど
時々こうして一人で
わーっ!となってます

 

 

 

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レクサプロ・レキソタン断薬ブログ|わたしが経験した”正常への処方という病”|パニック障害

わたしが見た

断薬を失敗した時の世界は

恐怖しかなくて

右を見ても

左を見ても

上を見ても

下を見ても

むしろ目を瞑って

何も見てなくても

すべてが地獄だった

怖かった

泣き叫ぶほどに

怖かった

 

 

 

体中の痛みとか

止まらない動悸とか

めまいとか

全身の震えとか

眠れないこととか

眠れたと思ったら

呼吸が止まって飛び起きるとか

そんな症状の辛さが

生き地獄のようだった

というのではなくて

 

 

見える世界自体が

地獄だった

 

 

 

その地獄から

どうやっても逃れられない

という怖さ

それは死をもってならば

この地獄から逃れられる

という通常では考えられない考えと

隣り合わせになるほどだった

 

 

 

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