パニック障害減薬と断薬でわたしが経験した離脱症状のこと

精神薬・減薬・断薬・断薬失敗・離脱症状・再服用

断薬⑥/実家へ帰る、少し回復の兆し


f:id:nekomura-benzodanyaku:20240328171449j:image

この記事を書いた人

・1970年代生まれ/女

・原疾患/パニック障害 

・服用期間/レキソタンパキシルCRなど15年以上

・2017年急断薬で離脱症状を発症

・断薬失敗

・再服用後、2年かけて減薬

・2019年断薬しました

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【急断薬後、再服用】

▪︎レキソタンのみ再服用

 

▪︎離脱症状は少し落ち着くが、元には戻らず

 

▪︎気のふれたような不安感・恐怖感も少し落ち着く

 

▪︎私の場合、再服用しなかったら今この世にいないと思う

 

▪︎たまたま連絡をくれた友人が、食べるものを持って家へ来てくれて話す

 

▪︎友人からは、思ったより全然大丈夫じゃんと言われた記憶

 

▪︎友人を送ろうと一緒に外へ出るも恐怖から家から2、3mまでしか行けず

 

▪︎ひとりになるのが、とにかく怖い

 

▪︎自分を傷付けようとしてしまう

 

▪︎2階から飛び降りようとする衝動と背中合わせ

・夫には「ここから飛んでも骨折して痛いくらいだから大丈夫」と言われホッとした

 

▪︎自宅にひとりでいるのがどうしても怖くて不安で、実家へ行く

 

▪︎高速道路が怖い

 

▪︎車に乗っているのが怖い

 

▪︎スピードが怖い

 

▪︎高速で運転している夫の腕や手を掴もうとする衝動

 

▪︎高速でドアを開けて飛び出そうとする衝動

 

▪︎たくさんの車が出す排気ガスで地球が爆発するイメージが離れない

・断薬した今もこのイメージが湧いて、高速道路が怖くなることがある

 

▪︎実家へ戻り、少しずつ食事が取れるようになる

 

▪︎1〜2週間で3〜4kg減っていた

 

▪︎母と一緒に散歩に出られるようになる

 

▪︎DVDでドラマや映画を観られるようになる

・眩しさや怖さはあり、音量をかなり小さくして観ていた記憶

・ただ画面を観ていた感じ

 

▪︎少し本が読めるようになる

 

▪︎診察の為、実家から自宅へ一晩戻る

・夫も一緒の診察室に入ってもらわないと怖くてたまらず、一緒に診察を受けた

レキソタン以外も飲んで欲しいと言われるが飲みたくないと伝える

・漢方の抑肝散が追加で処方される

・1日3回処方量だったが、頓服で服用(医師了承済み)

 

▪︎精神面の離脱症状がよりツラかったが、動悸やめまいや頭痛、不眠、体の痛みなど症状は全身にあった

 

▪︎毎日大量の抜け毛があり、白髪も一気に増えた

 

▪︎まつ毛も抜けた

 

▪︎大病をした人が、一気に老け込む感じ

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

メインのブログの方に2022年に書いた追記を読んで

本当に大変な時間を過ごしていたんだなぁ…

と思いました

もっと大変な思いをしている人はたくさんいると思うけど

私は私の大変さの中にいて

こんな思いをしなくても良かったのなら

したくなかったと今でも思う

 

 

そして、こんな思いや憎しみは

早く捨てて、忘れてしまいたい

でも、今はまだ、全然忘れられないみたい

 

 

お茶漬けでも食べよう

 

↓ ↓ ↓ ↓

【断薬後追記、2022年】
ひとりになることが、とにかく怖くて怖くて仕方なかったですね。あの感覚はどう説明したら伝わるのか…怖くて気が狂いそう、不安で気が狂いそう。というか、狂ってましたね。
後に両親からこの頃の私のことを「全く笑わないから、やっぱりいつもと違う状態なんだと思った」というようなことを言われました。
恐怖と不安以外の感情は消えていたような記憶です。
夫も忙しすぎて、この頃はどうやって暮らしていたのか思い出せないと言います。
みんなに助けをもらって、何とか命を繋いだような日々でした。

 

薬をやめて、離脱症状という状態になっていると両親には伝えましたが、70代という世代もあると思いますが、お医者さんが言うことは絶対、薬を飲めば病気は治るという考えが根底にあり、理解を得ることは難しかったです。
「近所の町医者だからそんな事になったんだ。大学病院へ行った方がいい。専門医に診てもらった方がいい。」と何度も言われました。

 

この頃は、ひとりで外へ出ることが全くできなかったので、かかりつけのメンタルクリニックへ行くのも夫の手を借り、診察も一緒に受けてもらった記憶です。
担当医は離脱症状であると言う私の言葉を完全に否定していたので、離脱症状以前の通院と同じく、ただ薬をもらうだけの通院が始まりました。

 

たった一ヶ月で、今までと様変わりした患者が目の前にいるというのに、なぜ医師はそれをきちんと見ようとしなかったのか?声に耳を傾けてくれなかったのか?不思議でした。
自分の診察や判断に狂いはないという自信があるのは、その話しぶりから分かっていましたが、今まで薬を処方するだけの1分診療で診ていた患者の事など、正直覚えていなかったのだと思います。
1分診療では、それまでの見た目、話し方、怯え方などがどんなに様変わりしようと、分からないですよね。



実家にいて夫が側にいない時間に錯乱状態になったら、両親は必ず救急車を呼んでしまう、そうすれば色々な薬を投与されてしまうと思い『長年飲んでいたベンゾジアゼピンを断薬して離脱症状を起こしています。急を要する場合以外は、ベンゾジアゼピンを投与するのはやめてください。お願いします。』と書いたメモを、お財布の中の保険証に貼っていました。

 

本を読み始めたり、映画を見始めたりしましたが、最初は文字が読めない、映画を見ても何も感じない理解が出来ないなどでしたが、毎日リハビリのようにそれらに接することで、感情が動き始め、文字も少しずつ読めるようになっていった記憶です。
良いリハビリになりました。
ただ、笑うということは、いちばん最後だったかな。
映画を観ても悲しみや不安には心が動くのに、楽しさが分からなかったり、基本的に心が凄く平坦な状態だったのを覚えています。  

 

そしてある日、実家で日テレ系の「イッテQ」をボーッと眺めていた時に、森三中さんといとうあさこさんを見ていて突然笑いが止まらなくなり、涙を流しながら笑いました。この時から感情が戻り始めたのか?は覚えていないのですが、今もイッテQを見ると笑えて、元気をもらえます。
笑うって、当たり前のようで、当たり前じゃなくなる時があるんです。でも、また笑えるようになる日が来ると思います。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↓次の記事です

nekomura-benzodanyakupart2.hatenablog.com

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↓急断薬後から書き始めたブログです

nekomura-benzodanyaku.hatenablog.com